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販売してくださる生徒の皆さんへの手紙
2016.09.16
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震災からちょうど5年と半年経った9月11日(日)に、千葉市の昭和秀英中学高等学校のボランティア同好会の皆さんが、文化祭で南三陸ミシン工房の商品を販売してくださいました。 ものを売るというのはとても大変なことです。 商品のラインナップと販売価格を事前にお知らせすると、「自分たちでは売れないかもしれない」と自信がなさそうでしたので、生徒の皆さんに手紙を書きました。 ここに紹介します。 *********************************** 昭和秀英中学高等学校 ボランティア同好会の皆さんへ みなさん、こんにちは。 このたびは、私たちの商品を展示販売してくださるとのことで厚く御礼申し上げます。 販売していただくうえで、いくつかご説明させてください。 まずは南三陸町と工房の現在についてです。 2011年の震災から5年半が経ちます。 現在、津波に襲われた町の沿岸部は10mの盛り土工事が進んでいます。地震による地盤沈下もあり、将来の津波対策としても沿岸部は10mの盛り土工事をした上に商業施設や工業施設、国道などを作ります。 また、それと同時進行で山を削って平たくしてそこに上下水道などの生活基盤を敷き、防災高台移転地を建設中です。 津波で自宅を失った町の人々は、こうした高台へ引っ越します。 南三陸ミシン工房のメンバーは現在10名ほどいます。 年齢は30代から70代ですが、そのうちまだ半数の5名は仮設住宅暮らしが続いています。 震災から5年半が経ちますが、まだそのような状況です。 リアス式海岸の地形故、山と山に挟まれた谷間しか平たい場所がなく、そこに多くの人が住んでいました。谷間を津波が襲いものすごい力で根こそぎ削り取っていきました。そうした地域は災害危険区域に指定され住むことはできなくなったので、山を削って住めるようにするしかなく、それにはこれだけの時間がかかるということになります。 南三陸町では家族4人にあてがわれる仮設住宅は4畳半2間です。 長く住んでいることもあり、室内には生活用品がたくさんあふれています。寝る時も布団を敷くのが大変なくらい狭い中で生活を続けてきています。 「ここで死にたくない」ご年配の居住者の方からよく聞く言葉です。 次に、私たちの活動についてご説明します。 私たちは2011年の秋からこの活動を開始しました。 家庭用のミシンと、お裁縫箱とアイロンとアイロン台をセットにして町内の方を中心に配布しました。 そのお金は全国の方から寄附していただきました。 ものづくりをする活動なのに、自分たちの場所もないままに始めたので、ホテルの宴会場や町の公民館や施設などをその都度借りて、ミシンの講習会を続けながら、ミシンで仕事をしてみたい人をピックアップしてその人たちと「南三陸ミシン工房」を立ち上げました。 工房とは名ばかりで、当時はまだ自分たちが集まる自前の建物もないので、材料を自宅に持ち帰り、裁断から縫製まで狭い仮設住宅で作業を行います。 現在は工房も完成したのですが、メンバーの多くは自宅で家族の面倒を見ながら内職を希望している人が多く、自宅で縫製作業をしています。 そのため、工房の商品のほとんどが一人の担当者によって1つの製品を一貫縫製しています。 企業として製品を作って販売する場合、「いかに安くしていかにいいもの」をつくることが大前提です。そうしないとほかの企業がつくった、より安くていいものにかなわなくて売れません。 そのために、まずは工場に人を集めて流れ作業で効率よく生産しようとします。また原材料も安く仕入れる努力をします。 さらにもっと安くするために、賃金の安い海外の工場に頼んで生産します。 世の中にあふれている製品の多くは簡単にいうと、そうして生産されています。 さて、南三陸ミシン工房の製品はさきほど説明したように「一人が自宅で一貫縫製して」作っているので、効率よく生産できません。 そして、工賃は縫製工場に勤めていた経験のある上手なメンバーが1時間に何個作れるかで計算しています。 縫製経験の豊富なメンバーなので上手にたくさん作れますが、それでも工場で流れ作業によって効率よく作る個数にはかないません。 手作りで丁寧に縫製していますが、そうしたこともあり工賃が高くなってしまいます。それが原価に反映され、ひいては商品の価格に反映されます。 製品の形だけでみると、南三陸ミシン工房の製品は世の中にあふれているものと変わらず、価格だけで比較すると「えー、なんだか高いな」と感じられるかもしれません。 でも、製作の背景にはそのような事情があるのでどうか皆さんが販売するにあたっては、お客様に製品が出来上がるまでの物語を説明してくださいますか。 安ければいいというわけではなく、どこの誰が作ったものかわかるものがほしいだとか、大量生産で雑に縫製されているより丁寧に縫製されているものがいいとか、頑張っている被災地の人がつくっているものなら買いたいだとか、きっと納得してご購入くださる人がたくさんいます。 私たちも私たちなりに懸命に努力して工賃を下げてきたり、安い仕入れ先を探したり、商品に付加価値をつけるなどの努力を続けています。 それでも価格的にご納得いただけないお客様がいたら、皆さんから製品が生まれる背景を説明してください。 皆さんに説明していただくために、南三陸ミシン工房の製品の特長をお伝えします。 お客様に伝えるポイントでもあります。 ・東北の震災で被災した女性たちが中心になって作っています。 ・震災から5年半が経ちますが、今もメンバーの半分近くは仮設住宅に暮らしています。 ・全国の方からご寄付をいただいて調達したミシンを支給され、今日まで毎日いいものを作ろうと一生懸命縫ってきました。 ・自宅に材料を持ち帰って一人で1つの製品を一貫縫製していますので、商品には誰がつくったかわかる製作者カードが入っています。 製作を担当した者の似顔絵と名前が入っています。 (分身ふなっしーだけは共同作業で作っていますので製作者カードは入っていません) ・商品が売れることで工賃を手にし、次の仕事が生まれます。年齢の高い女性たちが今から外にでて働く場所はなかなかありません。ミシンで仕事ができてお金がもらえればとても助かります。 ・自宅を失い、今もなお仮設住宅で暮らしているメンバーも多い中、毎日張り切って仕事ができる環境は、前を向いて歩んでいく元気の源です。おかあさんが元気だとお父さんも家族も安心です。 ・製品の多くには英語で「Hang in there!」という文字が記されたタグが縫い付けられています。 この英語の意味は「乗り越えられない困難な状況にぶつかっても負けるな。がんばれ!」です。 「ある日突然地震が起きて津波でなにもかも流されてしまい大変なことばかりでしたが、全国の皆さんからのご支援でこうして今日もがんばっています。だからあなたもどうかがんばって!」 そんな意味も込めています。 ・商品に使っている生地は最初は全国の方からもらったハギレでした。 ハギレで作った製品を売って少しずつ余裕が出てきたところで、2年目から国産のプリント生地を購入してものづくりをはじめ、5年目の現在はイギリスのインテリアファブリックスのブランドClarke&Clarkeの生地を購入して商品づくりをしています。 少しでも他と違うものを作って差別化を図っていこうと考えたからです。 また、京都市立芸術大学の学生の皆さんが南三陸町を訪ねた時の印象をもとに素敵なテキスタイルデザインを考えてプレゼントしてくれました。 そのデザインをもとにオリジナルプリント柄「ウニ」「ミナミサンリク」が生まれ、商品化されています。 「ウニ」は南三陸町で夏に採れる自慢の一品をモチーフにしています。 「ミナミサンリク」は、町でみかけるタコやアワビ、ウミネコ、ワカメなどをモチーフにしてデザインされ、それらを使って絵文字で「南三陸」がデザインに入っています。 安く大量にあふれている商品と変わらないように見えますが、南三陸ミシン工房の製品はこうした物語がたくさん詰まった商品です。 どうか、皆さんの手で販売していただき南三陸ミシン工房の製品を多くの人に届けてもらえたら、関心をもってくださる人が増えると思います。 5年半前に東北で起こったことは決して他人事ではありません。 自然災害の多い日本。いつかわが身にふりかかることかもしれません。 その時に、被災してもこうして前を向いて頑張ってる女性たちがいることが商品を通じて伝わればと思っています。 ものを売るのってとても大変なことなのですが、どうかよろしくお願いします。 南三陸ミシン工房 熊谷安利 ************************************ 私たちの商品のことを手紙を通じて理解していただき、生徒の皆さんもとても頑張ってくれたようです。 たくさん売れることが目的ではありませんが、商品の販売を通じて多くの方に南三陸町のことやそこで生きる人々のことが身近に感じてもらえたらと願っております。 |
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