南三陸ミシン工房
東日本大震災をきっかけに南三陸で生まれた工房は、ミシンと共に復興の道を歩みます。
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南三陸ミシン工房とは?とは
洋子さんのこと
2017.09.28
洋子さんが先週、秋の晴れた日に旅立ちました。

南三陸ミシン工房の最年長メンバーとしてこの6年間ずっとがんばってきた洋子さん。

享年74歳。
68歳の時に東日本大震災により被災。
ご主人の長平さんと魚屋さんを営んでいましたが、津波でなにもかも流されてゼロからの出発でした。
昨年あたりから工房のメンバーが次々と仮設住宅から新居へ引っ越す中、ようやくこの9月1日に新居の地鎮祭を行い、今年の暮れには引っ越すことになっていました。
新居への引っ越し、間に合えばよかったのに。
くやしいね。

昨年の秋から体調を崩して、週に一度工房に通ってくるのはお休みしていたのですが、それでも「気分がまぎれるから」と、具合がいいときに仮設住宅の自宅で縫製をしていました。

この6年、つらいことも悲しいことも一緒に手を取り合って乗り越えてきた工房のメンバー一同で、お通夜に出て洋子さんにさよならをしてきました。

笑顔のすてきな方でした。

その笑顔の写真は2013年衆議院予算委員会の復興関連の質疑でミシン工房が取り上げられたときにも紹介され、NHKで全国に放送されたときには「恥ずかしい」と言ってましたね。

ミシンは素人同然からの出発で、縫製工場に勤めたことのあるメンバーに教えてもらいながら上達。
ファスナー付けとかになると生産性が落ちるので主にトートバッグやポケットティッシュケースの縫製を担当してもらいました。

「まっすぐに縫うこと」「四角いものを四角く縫うこと」って、簡単そうだけど実は大変なことなんだと、洋子さんの様子を見ていればわかります。

自宅で縫ってきたものを毎週集まってみんなで検品しますが、洋子さんの縫ったものはどうしても検品にひっかかります。
そのたびに、縫ったものを自宅に持ち帰り、縫い直しです。

「可哀そうという気持ちで買ってもらえる」のはすぐに終わるのだから、「しっかりとした縫製で、いいものを買ったなとお客様に喜んでもらえるものを作っていこう」

そんな思いでやってきたので、縫製には厳しく、最初の1~2年でやめていく方も多かったのです。

洋子さんの場合も普通なら、やめてもおかしくない位のショックだったと思います。それでも気の遠くなるような作業をして翌週には丁寧に仕上げて持ってきました。
「孫の小遣いになるから」
ちいさく笑ってそんな風に言っていたそうです。

昨年暮れの忘年会に自宅へお迎えにいって、会場までの道すがら「検品ではねられても、これまでよくめげずに続けてきましたね」と言ったら「言われると、なにくそーって思うんです」とにっこり微笑みながら答えてくれました。

実は、やさしい笑顔の奥に負けん気の強さがあったのが、その時にわかりました。

ある日突然、津波でなにもかも流されて「被災者」となり、避難所生活が始まり、続いて仮設住宅での生活。先の見えない生活が続き、だれもが不安を抱えて生きてきました。
その中で、ミシンに向き合うことは洋子さんにとってどんな意味があったのかなと思いを馳せます。

「天職だと思ってます」

あるときのテレビのインタビューに洋子さんが笑顔でそんな風に答えていたのを聞いた時には驚きました。

縫製は大変だったけど、外国の素敵なプリント生地やミナペルホネンの宝石のような生地に向かい合うのはワクワクすることだったでしょう。

みんなと週に一度会って、町の復興の進み具合やお互いの近況を話したりするのもあの頃は心強かったでしょう。 町がめちゃくちゃになってこの先どんな風になるのか全く分からない時でした。

洋子さんの縫ったものが発送されて、注文したお客様からお礼のハガキが工房に届いた時には嬉しかったですよね。

洋子さんの笑顔に引き寄せられて、全国からたくさんの方がミシン工房を応援してくれました。

ずっとがんばってきてくれてありがとう。

想像を越えるとてつもない困難が襲っても、その笑顔と負けん気で今日まで乗り越えてきた洋子さんのことはいつまでも心の中にあります。

天国から、町の復興とミシン工房のこと、ずっと見守っていてください。

さようなら。

                       南三陸ミシン工房 代表理事 熊谷安利
 
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