南三陸ミシン工房
東日本大震災をきっかけに南三陸で生まれた工房は、ミシンと共に復興の道を歩みます。
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南三陸ミシン工房とは?とは
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震災から10年。思うことツイッターまとめ
2021.03.11
10年の月日が経ちました。

あっという間だったようにも思います。

だけれども、同じことをもう一度やれと言われればできませんと答えます。

大変な道のりを目の前だけを見てコツコツ歩んできました。

10年の節目である本日、これまでの思いを徒然にツイッターに投稿しました。

フォロワーの方には大変な迷惑だったかもしれません。タイムラインを汚してしまい申し訳ありません。

改めて投稿したツイートをまとめてみました。誤字脱字があるかもしれません(一部元の文章に手を加えました)

思いに任せて綴りましたので、ひどい文章かもしれませんが、どうかご一読ください。

1)この1~2週間のテレビ等のメディアでは、震災から10年のたくさんの物語が放送されました。私たちもメディアに取り上げてもらうことがありますが、明日から静寂が訪れることは間違いありません。

そのことも覚悟してこれから先も歩んでいくために準備してきました。

2)3月下旬、南三陸町に合同会社灯舎を立ち上げます。

2011年秋に任意団体でのミシン講習会の活動から始まり、2013年3月にNPO法人南三陸ミシン工房へ。そしてこの度新たに事業会社をスタートさせることにしました。

https://www.tomoshibisha.com/

3)この10年、多くの方に支えられてミシンによる布製品作りと販売をしてきました。布製品を通じて南三陸町の復興の歩みや豊かな自然、おいしい海産物、笑顔がとびきりすてきな町の人。

突然の自然災害に遭ってなにもかもなくしてしまってもまた一から立ち上がった人たちを紹介してきました。

4)とはいえ、事業型NPOとして商品を販売しながら活動資金を得ていくのは大変で、助成金や補助金も商売をやっている団体には厳しく、行政から依頼された事業展開も行っていません。

とにかく「おらほの女性たちがミシンで作ったもの」を売る!でない頭をひねってきました。

5)震災から1年で活動をきれいに収束させて東京に戻っていく支援団体が多い中でも活動を続けてきたのは、南三陸町の甚大な被災状況もあります。

また、偶然ですがこの町にはミシンの得意な女性がたくさんいました。中学を卒業して隣町の本吉にある技芸専門学校に進み、洋裁を学んだ方がたくさんいたのでした。

6)自分の得意とするミシンをもらって大喜びです。

ありとあらゆるものが津波で流され、色のない灰色の風景になってしまいましたので、全国から送られてきたきれいな生地をミシンにかけるだけで気持ちがどんなに晴れたことか。

ミシン講習会の熱気はとにかくものすごいものでした。

7)ある日突然、知らない人同士での避難所暮らしが始まり、その後の仮設住宅での生活。親しい友人がどこに行ったかもわからず、ミシン講習会で再開し抱き合って涙を流す光景もありました。

家族4人で4畳半二間の仮設住宅です。以前は大きな家に住んでいましたから大変なストレスだったと思います。

8)そんな光景を見てしまうと簡単にやめられません。人からずいぶん笑われました。<br><br>「縫製を本業とする会社がどこも大変なのに、家庭用ミシンを配って被災者が作りました!買ってくださいって一体いつまでやるんだよ」「溺れている人を助けるのに、水の中に飛び込んで一緒に溺れてどうすんだ」

9)ライフセーバーでもないのに水に飛び込んでしまい、一緒に溺れながら必死で叫んで手を振り続けていたのでした。

今思うと、本当は縫製の知識もない専門外の人間がやってはいけない活動だったと思います。

ずいぶん迷惑をかけたかもしれません。 でも、必死に手を振っているうちにすごいことが次々に。

10)建物がほとんど流失した町では講習会を開く建物がホントに少なくて苦労しました。

1つだけ流されずに済んだ公民館やスポーツ施設の会議室、地域センター、理容院の2階のお部屋を借りたこともありました。

そんな時、アパレルメーカー・ストライプカンパニーさんが声をかけてくださいました。

11)earth music&ecologyを展開するアパレルメーカーさんで、「全国のショップのレジ脇に募金箱を置いてそのお金を寄付するから、あなたたちの建物を建てなさい。今のままでは大変でしょう」と。それから土地探しが始まりました。

12)この町には不動産屋さんがなくて地主さんを一人ひとり紹介してもらい訪問しました。

なかなか土地が見つからないときに旧歌津町の町長さんであった牧野さんに紹介してもらったのが、縫製メンバーのつた子さんの同級生でもある千葉さんで、所有する畑を貸してもらうことができました。

13)歌津に建てた最初の建物ができてようやく活動も安定してきました。資材が置いておける。そこを目指して訪問可能。物を送れる。

エアコンはなかったのですが、暑くてもタオルを巻いてミシンに向かいました。

建物が建つ頃にビームスの南馬越さんがヤフー復興支援室の案内で訪ねてくださいました。

14)南馬越さん(マゴさん)がミナ ペルホネンの皆川さんを紹介してくださいました。

皆川さんは初めて工房を訪問されてミシンに向かう様子を見た瞬間に、「うちの仕事をお願いできる」と感じたそうです。

ミナ ペルホネンは知らなくて、ペネルホン、ペホルネンと覚えるのに苦労した記憶があります。

15)皆川さんは実はクリエーターが尊敬するクリエーターで、ミナ ぺルホネンは超有名アパレルブランドなのでした。

お仕事を頂くようになると、どこからかやっかみも入りました。匿名のメールで誹謗中傷されることもありました。

そんなことよりも目の前の仕事をこなすのがとにかく第一なので無視。

16)10年の歩みをまとめる記念冊子の製作を進めています。

縫製メンバーの武山さんは「嬉しかったのは、ミナ ペルホネンの細かな縫製をして、直しがあまりなかったこと。」と言っています。

厳しいチェックを受けますから合格した時の喜びはより一層です。みんなの思いを残しておこうと思っています

17)「あのとき、死んでればよかった」と思ってしまうほど津波でなにもかも流されたことよりもそのあとに起こった、人間関係、物資供給の不公平感、情報不足、先が見えない不安感でみんな悩んでいました。

それを乗り越えるのに、ミシンは重要な役割を果たしました。

このことは記録に残したいのです。

18)川崎市の小学校で長年教師を務めていた大森さんは「私のデビューは銀座です。宮本亞門さんの舞台でミシン工房の商品を販売するとなったときに、つくりためていた小物を一緒に売っていただいたの。そうしたら追加注文まで来たんですよ。」

今も自慢しています。

19)最年長の佐藤さんは「津波直後よりみんな若くなった気がします。あの頃はみんなぺちゃんと押しつぶされたようでしたからね。私も、ミシン工房に参加したことで世の中が広がりましたよ」と。

年齢の近かった佐々木さんが病気で亡くなられたときは「しばらくおかしくなった」と述べていました。

20)佐々木洋子さんは高台移転の新居へ入居目前で病のために逝去。

洋子さんのご主人は80歳を過ぎても野菜や魚をトラックに積んで行商に出ています。

「ローンがあっからよー!なに、大変だっちゃ」と笑っています。

洋子さんはホントに頑張り屋さんで笑顔が素敵で。今も心の中にいます。

21)桂子さんが印象に残っているのは、2012年夏にふなっしーが来てくれたこと。

ファンと一緒に大型バスで仮設を回ってくれたんですね。まだそんなにふなっしーは知られていない頃で、「なんか変なの来た」という感じで(笑)。

22)私は当時分身ふなっしーの縫製を中心に担当していたんです。最初は「目がちょっと怖い」と思っていたけど、だんだんとぼけた顔が好きになって、「ふなっしー!」って声かけながらつくるようになりました。

23)国子さんは自宅流失したのちに窓のない倉庫に家族と暮らしていました。

ミシン工房に参加したことは「震災があって暗くなっていたし、仮設にいないと全然情報が入ってこないから、みんなが震災のときはどうしていたかとか、色んな話をするのが楽しかったですね。ストレスを発散できました。」

24)小松さんは「Twitterでは、ふなっしーやSMAPのファンのみなさんなど、色んな人が感想を書いてくれていますよね。私、草なぎくんをフォローしているんです。うちの次男にちょっと似てるから(笑)」と告白してくれました。

25)みんなを引っ張るつた子さんは「私もSMAP大好きです、特に木村くん。本家のお姉さんがファンクラブに入っていたから、震災前はよくコンサートに行っていたんですよ。震災後に歌津中学校に歌いに来てくれたことがあって、バスに乗るところを見ました」と。そういえば、赤色をよく縫っています。

26)10年の間には工房から離れた人もいます。

牧野さんは隣町のスーパーの店員さんをやっています。

大好きだったとみ子さんは病に倒れて天国の洋子さんと仲良くやっています。

若い由紀さんは地元の会社の事務職。かつ子さんと及川さんも昨年抜けて新しい道を歩んでいます。それぞれの道です。

27)同じ町に暮らしていても知らない人同士が、震災後ミシンと共にいろいろなことを乗り越えてきました。

「被災者の作ったものだからかわいそうなので買ってあげよう」そんなのはすぐに終わるから検品を厳しく縫製にもこだわってきました。

当時は個々の自宅での一貫縫製も多かったので検品が厳しいと

28)かなりへこみます。魚屋さんだった洋子さんなんかはしょっちゅうNG出されて、持ち帰ってほどいて縫い直してました。

最後の忘年会に行く途中、車の中で「よくがんばってきたね」と言ったら「こう見えても、負けず嫌いなんです」と静かに笑っていました。

29)10年の間にはいろいろなことがありましたが、みんなで乗り越えてきました。

牧野さんが「もうさ、これ以上のどん底はないんだからここから上を目指してがんばろうよ」」と言ってたのを覚えています。

本当にこれ以上のひどいことは起こらないくらいのことが目の間に広がっていました。

30)いま、千葉市の昭和秀英さんと文京区のお茶の水女子大附属中学校の生徒さんにお話しする機会をもらっています。

家庭科の被服実習で資材を提供してポーチやトートを作ります。

実習の前に学校を訪ねてお話しするのですが、「今から話すことは決して遠い昔に起きたことではなく…

31)「皆さんにも降りかかってくることなんだよ」そう伝えています。

自然災害大国日本です。被災地があちこちに生まれます。南海トラフ地震も首都圏直下型地震もいつ襲ってきても不思議ではありません。

32)東京だと避難所も人があふれて入れないかもしれないし、仮設トイレも足りなくて校庭に穴を掘ってそこで用足しするんだよーと生徒さんに話します。

東日本大震災のこともほとんど覚えていない若い世代にミシンと共にあゆんできた復興の道のりを話せるのは有難いです。

33)この活動を続けていくためにも、もう少し基盤を強くしなくてはなりません。

10年の節目に新たに事業会社を立ち上げることにしました。

合同会社灯舎(ともしびしゃ)。

3月下旬までに立ち上げます。多くの方に支えられてともし続けてきた火を絶やさぬよう、新しい一歩を踏み出します。

34)「被災した女性」たちがミシンで作ったものだけでなくさまざまなものをセレクトして販売していきます。

宮城の伝統工芸品でもある若柳地織の商品も販売。

障がいを持った皆さんが手掛ける手織り製品も販売していきます。

星のスリッパも販売予定!ちなみに第一号商品は「南三陸の手拭い」です。

35)南三陸の手拭い

http://bit.ly/3evNRAK

36)経営基盤を少しでも安定的なものにしながら、縫製を通じた人と人とのふれあいや町おこし、震災伝承、伝統産業のサポート、障がいを持った方々のサポートができたら。

そう思っています。

それがこれまで応援してくださった皆様への恩返しになるんじゃないかと。今度は私たちが誰かの応援もしたい。

37)これまでの歩みや縫製メンバーへのインタビュー、関わってくださった関係者の皆さん、マゴさん、皆川さん、京都市立芸大の先生、中学校の先生、衆議院議員柿沢未途さん、ブラザー小原さん、シンガーソングライター青木慶則さん、川島織物セルコンスミコホンダブランド本田純子さんなどからの寄稿やインタビューも掲載するミシン工房の記念冊子。

この春にクラファンで資金調達して刊行としていましたが、

38)活動を始めてちょうど10年になるこの秋に延期します。

これまで製作してきたもの、ふなっしーやSMAPファンの皆さんのこと、縫製エピソード、企画も盛り沢山。

この冊子はお世話になった関係者の皆様へ配布するとともに「南三陸ミシン工房友の会」ご入会の皆様へ配布予定。

39)「南三陸友の会」はなんと震災から10年経った今頃立ち上げるミシン工房のファンクラブです。

よかったらご加入ください。様々な特典をご用意してあります。

詳しくはこちらから→http://mishinkoubou.moo.jp/application.php

40)ひどく長くなってしまった連ツイもだいぶとっ散らかってしまいました。

数年前にクレジット決済サービスのSquareさんのイベントに招かれて六本木ミッドタウンに出店しました。

その時、いたんです。ジャックが。

ツイッターの共同創業者ジャック・ドーシー。Squareも彼の会社なのでした

41)ジャックに「ありがとう!」と伝えたかったのですが販売が忙しくて気づいたらすでに退席されていました。

どなたかジャックに会う機会があったらお礼を伝えてください。

あなたの作ったアプリは、いろいろ否定的なことを言われることもあるけど、大きな自然災害に遭った東北の地で大活躍だったよと

42)今回、こうしてわざわざ連ツイしたのも活動当初は死に物狂いで誰かに伝わってほしくて連投に次ぐ連ツイをしてたから。

当時を踏まえて、あえてこうした形にしてみました。

タイムライン、汚してしまって申し訳ありませんでした。

43)今年は銀座でポップアップストアを展開中のため、オンラインストアの在庫が少なめです。

お届けまでお時間を頂く形でご注文を受け付けています。

ご迷惑をおかけしております。

それでもよかったら南三陸で作った布製品をご購入ください。

 http://bit.ly/2PF4PPS 

44)ヤフーさんのネット募金もよろしくお願いします!

最後は宣伝ばかりになってすみません。

http://bit.ly/3cni2aC

45) 人は誰かの役に立つために生きているんじゃないのかな。一生懸命勉強するのも、そのためなんだと思うよと生徒の皆さんに伝えています。

ある日突然「被災者」になって、自宅も職場も知り合いも失ってしまった人がミシンをもらってあんなにげんきになったのも、

46)ものづくりを通して誰かの役に役に立つのが嬉しかったのもあると思います。

お役に立っているという意識が社会と繋がっているんだ、私は存在していていいんだに繋がるように思います。

今、辛どい人沢山います。

どうかなんとか凌いでください。

生きていればなんとかなる。

人の助けを借りましょう。

47)だんだん説教臭くなってきました。

申し訳ありません。

コロナが収まったら、東北の宮城にある小さな町をぜひ訪ねてください。

南三陸町は2021年3月11日現在、コロナ陽性者ゼロですので、収まってからでお願いします!

素晴らしい風景、食べ物、素敵な笑顔の人があふれています。

48)お付き合い頂き、有難うございました。

長々と失礼しました。

沢山の方に感謝しながら、これからもミシンと共に歩んでいきます。

どんな時もくじけずにがんばりましょう!

最後にツイッターでは掲載しないままでしたが、大好きだったけど天国に行ってしまった二人の笑顔の写真を添えます。

とみ子さん(上)と洋子さん(下)です。

最高の笑顔です。こんな風に年齢を重ねていきたいと思います。

ミシンが生んだ笑顔です。
 
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